受け入れる


私が怒るポイントはどうも人とズレている。
へぇ…こんな考え方になるのか…
人の炎を見て、なるほどなと客観視する。


数ヶ月前、怒った理由を話さなかったら
この人はこれに対して怒ったのだろうと

解釈が一人歩きしだした。
でもその解釈は誰一人として私の怒りの内容と一致していなかった。
かすりさえしていなかったので、
やはり私は何かが違うのだと思う。


その時怒った内容を思い出す。
何で怒っちゃったんだろうとは今も思わない。
何故ならその内容で傷付く人たちを守りたかったために出した出力(怒り)だったからだ。


私はいつも勘違いされる。
だから今のあなたの気持ちが分かる。
悪気があって言ったことでもやったことでも無いということを。
ただ、それが世間一般的な意見、
いわゆる“普通”からズレてしまったがために
“多くの人”の気持ちを揺さぶってしまった。


“普通”という多数の基準から外れないで居られる人と
そうで無い人が居る。

私は紛れもなく後者だ。
だから勘違いされる。


人の気持ちは推しはかれない。
それをまず理解する。
言葉から得られる情報はその人のごく僅かだ。


私は今日、言葉を発する方を選んだ。
多分また憶測で色んな解釈がされるだろう。


相手のイメージや言動が自分の思っているものと異なった時
人に不和な感情を生み出す。
相手にこうであって欲しいを望んでいたり
この人はこういう人だと思い込んでいると
いつまでもその不和と戦わなければいけない。


それを手放すことが出来た時
ストレートに相手を受け入れられるようになる。
あれもこれも、全て、その人自身。 


こんな事を言っているけれど
私もそれを理解出来ていない時が沢山ある。
でも自分の精神が未熟であるという自覚があるから、
少しずつその感情を手放そうと、

日々足掻いている。


期待をしない。
幻想を抱かない。
そのままを受け入れる。
それが互いに出来た時、受容が生まれ、

心許せる関係性になれる。
そうなれば、後はwin-win。
軽やかに生きる努力を。