2026年1月

2026年1月の気付き


あぁ言えばこういう、こう言えばあぁ言う、解釈の誤認(私生活を出してないのでそれが起こるのは分かっているけど)が面倒なので

相互フォローが絶対に起こらない個人のブログなら自分の部屋なのだし自由で良いだろうと思っていたけれど、

やはりインターネットはインターネットだった。

優しい気持ちも気分の悪い気持ちも、頭の中におさめておく。

私が思う綺麗なことを並べても、綺麗事を言うなと言われるのであればこうするしかない。

友人Mのようにネットに書くことは出来事がメインで、

そこに気持ちを書き記さないスタイルの人が1番世渡り上手だなと思う。

人は人ごとに自分の人生があり、性格も違えば、生まれも育ちも異なる。

そこに自分の価値観という土足で入っていかない。

自分の世界が1番正解だと思っている人が世の中には多すぎて、

私も感情が高ぶってそういう思考回路の時はあるけれど

やっぱり人は人、私は私の別人である。


その人の生きたいように放っておく。

誹謗中傷が好きな人はいつまでもそれに浸っていればいいし

説教が好きな人はいつまでも説教をしていればいい

介入しない。

中毒性を帯びているから言ったところで変化は乏しい、

これが私がここ1年くらいかけて気付いた他人のブレなさだ。

幼い子に嘘はついたらダメですよ、叩いたらダメですよというのとは訳が違う。

大人になってからだと、例えそれが法律的に違反していることでさえ

本人の意識が変わらない限りそう簡単に変わらない。


もし自分に子供が居たら、必要最低限のマナーとやってはいけないことは強く言い、

あとは子供が自分で考えて成長出来るように、豊富な経験をさせて

人との関わり方、考えの柔軟性、自分の強さと弱さの自覚が出来るサポートをしてあげたい。

まぁ、また綺麗事を並べたけれど、私も共に成長するということは忘れてはいけない。



私は悪口を言いたい時はネットの🔍の所に暴言を吐いているのだが

それで誰かを傷つけることは絶対にないので感情の吐き出し方としてはとても手軽で良い。

職場のIさんは仕事でイライラした時にはAIに意見を求めていると言っていた。けれど、やり過ぎるとAIからの擁護を求めてヤバいなと思うから控えめにしているという。

至極真っ当な意見だと思った。

助けてくれる人、ただただ優しいだけの人で自分の意見が慰められ肯定されてしまうと自分の世界観が強固になってしまう。

「他人は自分とは別次元の人生を歩んでいるということを理解すること」

「自分の世界観を他人に押し付けないこと」

これが本当の意味で解釈できている人は強い。



今月は本当はあと2〜3件、ここのブログに投稿しようとしていたのだけれど、書いては消しを繰り返したので、案の定控えめな投稿数になった。

近しい人から言われた、あなたはインターネットに合わない人だ、を今更ながら身に染みて実感する。


2月は既に予定が詰まり気味だけれど、もう少し詰めて家時間を減らそうと思った。

昨日Pと会話して歌った帰りは歌詞書きが捗ったので、やっぱりLINEやメールではなくリアルで会って話すことが急がば回れになっている気がする。


仕事のストレス(今月は退職社員のミスと抜けをフォローして、その方が担当していたお客様にひたすら謝り倒してばかりの月だった)の影響で

今月は帰宅してやることを済ませるともうHPが残っていない状態が多かったので、職場でもコミュニケーション時間を意識していこう。

新規営業Sさんはお喋り好きだから丁度良いかもしれない。

ただ私は頭が悪いので話しながら仕事を並行するが出来ないのが難点だ…

よし、2月はこう生きよう。あと1週間もすれば、びっくりするような良いことが起こる、かもしれない。笑

良いことがあったら、ここへ書こうかな、どうしようかな。笑